閉山から50年 鉱山住宅跡
2023年06月02日 - スナップ



(c)Tatsuo Iizuka
足尾銅山は1973年の閉山から50年経っています。
採掘で賑わった1916年のピークには栃木県で宇都宮市に次ぐ38,000人ほどの人口を抱えた足尾の町も
今や3,000人ほど。
古河鉱業によって足尾銅山は日本の40%の銅を供給するほど盛隆を誇り、従業員は好待遇で迎えられ、暮らしは豊かなものだったそうです。
お昼をいただいた食堂のおじさんによると、社宅では電気水道ガスの光熱費も会社持ち。
3交代制の勤務で夜勤から上がったばかりの抗夫は、朝から酒盛りに興じ
この食堂も何人も芸者を抱えて賑やかなお座敷だったそうです。
抗夫の家族らが暮らしたかつての社宅(鉱山住宅)は閉山後、公営住宅になり、数少ないながらも足尾の町に残っています。
延焼を防ぐためでしょうか、長屋の並びに、レンガの壁で仕切られているところもあります。
トイレは別棟にあり共同トイレです。住人以外の使用お断りの張り紙もありました。



(c)Tatsuo Iizuka
昭和初期くらいのものでしょうか、かろうじて建っている古い鉱山住宅も残っていました。
朽ちた壁から丸出しになった便器は、華やかに藍色に花柄が描かれたものが奢られていました。
便器の装飾に、わずかに残る往時の栄華を見たような気がします。
ここには共同の浴場も残っていました。
左右に男女別の浴槽がそれぞれに。真ん中には大きなボイラー室がありました。
住人がいなくなったあと農業倉庫に転用されていたのでしょう。
浴槽のまわりには資材が置きっぱなしに。
それもまた過去のできごと。
近くに流れる川の音だけが聞こえていました。


(c)Tatsuo Iizuka
栃木県/日光市
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