




(c)Tatsuo Iizuka
「昨日、悲別で」というドラマがあったのをご存じでしょうか?
1984年(昭和58年)に放映されたそのドラマ。倉本聰脚本の青春グラフティーで、当時高視聴率を誇ったそうだ。
ボクは見たような見てないようなあやふやだったものの、去年youtubeで全て見た。お昼休憩中、連日弁当を食べながら食い入るように見入った。
北海道上砂川町や歌志内市を舞台にして収録が行われている。
ここはかつて炭鉱で賑わった町で、今から30年前、町と石炭業が斜陽化する様子や人々の暮らしが描かれていて実に興味深かった。
悲別というのは架空の町ながら、この劇中、重要なキーポイントとなる「悲別ロマン座」は今も実在する。
過日(8月6日)、「北海道歌旅座」のライブがここ「悲別ロマン座」で行われたのだ。
以前から何度か、歌志内市上歌にある「悲別ロマン座」の前を通ったことも、誰も居ない建物の中に入ったこともあった。
かつてここは石炭を掘る会社の福利施設(住友上歌志内炭礦会館 通称上歌会館)として建てられ、コンサートや舞台、映画の上映(当時の映写機も現存)で歓声や笑い声が絶えなかったという。
閉山後、放映された「昨日、悲別で」のあとは、観光客で賑わった頃もあったというが、今は朽ちるのを何とかしのいでいるのが実情のように見える。
そんな「悲別ロマン座」に、JUNCOの歌声が響く日がやってくるとは、思いもよらなかった。
開催が危ぶまれたという大雨も止み、お客さんも心地よい風を受けながら、歌旅座のステージを楽しんでいた。
このオープンエアの客席には元は屋根があった。雪の重さで屋根が落ちているのだ。壁の基礎が残っている。
上映室もある入り口側の建物と、ステージには屋根があり、あいだの客席が屋外という、時代を経て変遷し今の形状となった。
そしてこの「悲別ロマン座」は、地元の藤田さんという方が、私財を投じて維持しているのだと聞かされた。
「悲別ロマン座」の道を隔てたすぐ前には、炭鉱の立て坑ゲージ(地下層に人を送り込んだり、取った石炭を運び出すエレベーターのようなもの)もまだ形をとどめている。(写真一枚目)
かつての栄華を今に残すことは容易いことではなく、維持管理には人知れぬご苦労も多いだろう。
そのおかげがあって、我々に今もロマンを与えてくれている。
山あいに響くJUNCOの歌声も一層よかったな。
北海道/歌志内市
SONY α7s Leica SUMMILUX-M 35mmf1.4 ASPH.
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