




(c)Tatsuo Iizuka
小湊鐵道の始点は五井駅で、JR内房線と接続していて、東京駅からは1時間ほどです。
五井で一泊し、翌朝1800円の乗り放題切符を買って、キハ200に乗りました。
大きな荷物はコインロッカーに。ウエストポーチにはおにぎり2個と水を。
というのも小湊鐵道の途中駅、上総牛久(かずさうしく)駅より先は、列車本数がかなり少なくなり
駅前に飲食店がないからです。
昭和初期の木造駅舎が点在していてそれらに立ち寄ろうとすると、事前の食糧確保は欠かせません。
それと使い捨てカイロも。
前日の夜も、この日もとにかく寒くて・・・。
最大で1時間半を扉も暖房もない駅舎で列車待ちしなくてはならず、それへの対応です。
あいにく関東地方に居座った寒気の影響で気温は2℃ほど。
北海道の2℃といえば上着無しでいられるほど暖かく感じるのに、本州で数字以上に感じる寒さはなんなのでしょうね。
湿度と風と、雪の照り返しの有る無しなのでしょうか。
身体の芯まで冷え切って、ローカル線の乗り鉄をするには厳しい条件でした。
カラカラーと響かせながら走るキハ200の音と、暖房の心地よさにいつまでも離れがたい気にさせられました。
帰りは五井駅から東京湾アクアライン経由の羽田行きのバスで50分程度。
北海道からも意外にアクセスしやすいローカル鉄道でした。
千葉県/市原市
FUJI X-PRO2 XF18-55mmf2.8-4R

(c)Tatsuo Iizuka
雪の少ない今シーズンでしたが、昨日起きると50cmほど、どかっと来ました。
雪かきに悪戦苦闘していたところ
3日ほど前から調子の悪かった腰にぎくっと来てしまいました。
整骨院に駆け込んで傷みを抜いてもらい、
ラッセルの撮影に出掛けてきました。
懲りません。
雪が少なくて撮影に向かうのはわずかに今シーズン2回目。
1度目は思惑はずれて、雪が少なく空振り。
ラッセル車は排雪の羽根を拡げずに通り過ぎていくだけでした。
今日はそのリベンジを兼ねて、向かったのです。
撮影ポイントには期待したほど積雪はなく、豪快なかきっぷりには至りませんでしたが
跳ね上げた雪が逆光で輝いて良い感じで撮れました。
北海道/愛別町
FUJI X-T3 XF50-140mmf2.8R
マイナス26℃の朝2
2020年02月14日 - スナップ




(c)Tatsuo Iizuka
宿はとらずに車中泊。
真冬の車中泊は初めてで、寒さ対策にはあれこれ手を加えました。
荷室の床には銀マットと断熱のキャンプマットの2重敷きで底冷えをシャットダウン。
その上に、羽毛の寝袋と化繊の冬用寝袋を2重にして寝床としました。
窓は銀マットをカットしたもので塞ぎ、さらにホームセンターで買ったぺらぺらの断熱カーテンで
運転席・助手席と寝室(?)を区分けして窓やドアからの冷気をカット。
容量の大きなポータブル電源で電気毛布にくるまり、湯たんぽも導入して
万全な体制で臨みました。
そのおかげと、外気温がマイナス2℃くらいまでしか下がらなかったこともあり
寝袋のなかで汗ばむほどでした。
2泊目は湯たんぽ無しで済ませてもOKでした。
ちょっと肩透かしをくらった感じですが、凍えることなく朝を迎えられて良しとしましょう。
マイナス10℃くらいまでは行けそうな手応えを感じ取ることが出来たので、
次回どこかでチャレンジしようと思います。冬の行動範囲が広がりそうです。
車で出掛けてホテルに泊まるのは超簡単ですが、それよりも車中泊は「旅感」が出て良いです。
北海道/積丹町ほか
PENTAX K10D FA35mmf2.4AL





(c)Tatsuo Iizuka
岩老と同じく以前は車で行くことが困難だった雄冬(おふゆ)の集落。
雄冬岬があるところです。
西の知床岬と呼ばれていたこともあったそうです。
知床岬は未だに車では行けないどころか、一般の人が歩いて行くこともできない岬です。
今回の旅の伴の一台はPENTAX K10D。
秋に買って以来、じっくり撮ることがなかったのですが
こうして見返してみると、落ち着いた発色とトーンなのに
何故かリアリティがあるように感じています。
これがCCDセンサーの良さと言えるのでしょうか。
冬の日本海沿岸の風景にはしっくりきたのは間違いないようです。
北海道/増毛町
PENTAX K10D FA35mmf2.4AL





(c)Tatsuo Iizuka
増毛町岩老(いわおい)。
断崖にへばりつくようなその小さな集落にある温泉は岩尾(いわお)温泉。
「いわおい」なのか「いわお」なのか紛らわしいのですが、たぶん地元の人は岩老と書いて「いわお」って呼んでるんじゃないでしょうか。そんな気がします。
日本海を望む露天風呂が心地良い記憶があったのですが、あいにくの冬期休業でした。
今でこそ荒々しい海岸線を長いトンネルで抜けて行けるようになっていますが
昭和の後半くらいまでは車で行ける道路がなく、舟で行き来していたそうです。
しけた日が続くと陸の孤島になってしまう、そんな集落だったようです。
それでも良質の魚が獲れたのでしょうね。
どんな暮らしだったのでしょうか。
国道231号線が全線開通し、通年で車で行けるようになったのは1992年(平成4年)とのこと。
一枚目の写真は、かつての岩老小学校跡。
北海道/増毛町
PENTAX K10D FA35mmf2.4AL