
今回の礼文島の主目的はトレッキング。
2日目は島の北端からスタートし
徒歩でしか行けない西海岸を、アップダウンしながら南下していきました。
草原の丘を登りつめると、展望が開け、ゴロタ岬では左右両側が海。
柄にもなくその蒼さには感動。
かいた汗は、海を渡る風ですぐ飛ばされていき、気分爽快です。
腰を下ろし靴を脱ぎ、のんびりと過ごしつつ、歩いていきました。
この日は快晴。礼文からもお隣の利尻富士がくっきり見えました。
3週間ぶりくらいのようです。
6〜7月にかけては本州では高山にしか咲かないような花、礼文島固有の花が咲き誇り
トレッキングルートは花まみれのベストシーズンだと言われています。
今回花を見ることはあまりなかったのですが、代わりに人を見かけることもあまりなく
ボクにとってはベストシーズンだったように思います。
日本の北端の島まで行って、人の列に加わりたくはないのです。
時々不安になりながら一日を自然のなかで過ごすという体験は、そう出来るものではありませんから。



(c)Tatsuo Iizuka
北海道/礼文島
SONY RX100
一枚目はRX100のパノラマステッチ機能で。
3,4枚目でも分かるとおり、望遠にしてもしっかりとした色乗りと解像力、立体感に目を見張ります。
不自然に誇張した輪郭もありませんね。
礼文の夜 THE NIGHT
2015年08月30日 - スナップ





(c)Tatsuo Iizuka
ほぼ思いつきで出かけた礼文島。
夕暮れ時に港についたが、宿の迎えが来ない。
最終バスも行ったあと
ぽつんと一人フェリーターミナルに取り残された。
宿の予約を一ヶ月間違っていたらしい・・・。
それでもハイシーズンを過ぎてたのが幸いして、宿は確保。
迎えにも来てもらえた。
ウニだったはずの夕食は、集落唯一の食堂に。
のれんが下りているのを見たとき絶望しかけたが
無理言って、味噌ラーメンと中瓶ビールにありつけた。
満腹と安堵と少しの幸福感で食堂を出ると隣りの店先で、30年以上前に発売された尾崎豊1stアルバムのポスターと出くわした。
30年近く前に礼文に来た頃僕は、尾崎豊に心奪われていた。
バイク旅の最中、すり切れるほどウォークマンで聞いた「SEVENTEEN'S MAP」そして「15の夜 THE NIGHT」。
そのポスターが今、色あせずに北の果ての島に貼られていることが不思議でならなかった。

(c)Tatsuo Iizuka
北海道/礼文島
SONY RX100
頂上
2015年08月22日 - dp0 Quattro
我が町遠望
2015年08月21日 - dp0 Quattro
文様
2015年08月20日 - dp0 Quattro

(c)Tatsuo Iizuka
今、大勢の観光客で賑わう美瑛。
そのうちの1%の方にも知られていないけど、美瑛の丘にトーチカ(防衛陣地)が一基ある。
それも撮影スポットとして賑わう「赤い屋根の家」(最近ではメルヘンの丘と呼ぶらしい)のまさに屋根の上あたりにあって、知らず知らずのうちにみんなの写真に写り込んでいる。
丘の稜線に木がこんもり盛り上がった塚のようになっているのがそうだ。
入り口はその反対側にある。
草むらをかき分けると
木々に覆われたコンクリートの塊が見える。
長年の風雪で、その肌はぼろぼろとこぼれ
鉄骨や、大きな石までが露出している。
屈みながら入り口を入ってみる。
暗がりに目が慣れると
中は4畳半くらいの広さなのが分かる。
細長く取られた開口部(銃眼)から外の様子がうかがえる。
そして銃身が敵に向けられるようになっている。
開口部の下にある棚は、銃の台座を載せるためだろうか。
明治40年から終戦まで、美瑛は旭川の第七師団の演習場だった。
美瑛の丘(三愛・新星・福富・水沢あたり)で、戦争に備えて訓練していたのだ。
このトーチカは敵に対する防衛陣地ではなく、演習場の施設のひとつ。
敵軍と戦うためのものではなかったのが救われる。
それでもここに軍服をまとった兵士たちがいた時代があったのだ。
北海道/美瑛町
SIGMA dp0 Quattro
赤いBeetle
2015年08月04日 - dp0 Quattro
階段
2015年08月03日 - dp0 Quattro
天地創造の刻
2015年08月01日 - dp0 Quattro