リコーのサイトGR BLOGの中にある「GRist」にて私、飯塚達央を紹介していただきました。
GRというデジタルカメラを使っている人たち、その46人目ということで、著名な写真家やアーティストの方達に混ぜていただき、光栄です。
お時間あるときに覗いてみてください。
http://www.grblog.jp/egrist/

(c) TatsuoIizuka
文中にあるエフェクト「レトロ、WB:くもり」で撮影した写真です。
GRというデジタルカメラを使っている人たち、その46人目ということで、著名な写真家やアーティストの方達に混ぜていただき、光栄です。
お時間あるときに覗いてみてください。
http://www.grblog.jp/egrist/

(c) TatsuoIizuka
文中にあるエフェクト「レトロ、WB:くもり」で撮影した写真です。
2013年08月26日 - OM-D

(c)Tatsuo Iizuka
音威子府からオホーツク沿岸(浜頓別など)を通って稚内へと続いた天北線。
のちに幌延を通る現在の宗谷本線が開通するまで、稚内、そして樺太へのルートはこの天北線(当時は宗谷線・のちに北見線と改称)が担っていた。
主要ルートを宗谷本線に譲ると、天北線はローカル線へと成り下がった。
そして1989年(平成元年)に天北線は廃止となる。
写真は天北線の旧「飛行場前駅」。
かつてレールが引かれていたところは舗装され、サイクリングロードとなっている。
ホームは質素な板張り。
今やクマザサに覆われ、自然に還りそうな様相だ。
「飛行場前」駅といっても、実は昭和30年の開業時にも周辺に飛行場はなかった。
名前の由来は、かつて付近に旧陸軍の浅茅野(あさぢの)第一飛行場があったことに由来する。
浅茅野第一飛行場は、ソビエト、千島・カムチャツカ防衛を目的として建設された。
昭和17年に着工し、19年には完成しているが、ほどなく終戦を迎えた。
完成を急がれたため、多くの中国・朝鮮人を含んだ強制労働が行われ、過酷な状況下で多数の人命が奪われた現場でもある。

(c)Tatsuo Iizuka
かつて浅茅野第一飛行場のあった場所は、牧草地が広がるのみ。
飛行機を敵軍に見つからぬよう格納した掩体壕(えんたいごう)の跡が、その牧草の中にひっそりと残っている。
写真の奥、草がこんもりと盛り上がっているのが見て取れるでしょうか。
評価
2013年08月23日 - SD1Merrill

(c)Tatsuo Iizuka
2泊3日で道北は稚内やオホーツク沿岸方面に行ってきました。
自身のテーマである「駅前ふるさと」や「北海道の戦争遺産」で、実りある取材ができました。
今後徐々にご覧頂けるようにしていきます。
仕事を離れ、取材に行ってつくづく思うのは、やはり現場に行ってみないとね。ということ。
多少無理してでも時間作ってはせっせと出かけていきたいと思います。
それから取材は当たって砕けろ。の精神で。
しかし相手もいることだし、ここは無理せず、断られても落ち込まず。
さて、話は一転してレビューの話。
もう4年くらい前、出版社の編集者に写真を見てもらった際のこと。
その方は、とある写真家が出された本を引き合いに出し、
「あの写真集はつまらない」「見る価値がない」という風に言われました。
その本が好きだった私は、がっかりしました。
誰もが為し得ない仕事をされた方に対しての評価とは思えなかったのです。
それも、この編集者は業界で発言力のある方でしたので、なおさらです。
まるで自分のことを言われたかのように、心の片隅に引っかかったまま4年が経ちました。
今、その編集者はレビューアーとしても活躍されています。
しかし先日、私の知人がレビューを受けた際、「君におすすめの写真集がある」といって
挙げたのがその写真集だったというのです。
それを偶然知って、複雑な心境になっています。
その編集者が、4年の間にその本の良さを改めて知るに至った。ということなのでしょうが、
写真家が自分の人生掛けて積み重ねて作り上げた作品集。否定するなら徹底的に責任持って否定してくれよな・・・という思いがします。
それからレビューする側も人の子。好みやその時の気分でしかレビューできないものだと思います。
一人のレビューアーの評価に、絶対的な評価なんてあり得ません。
レビューを受けて、ほめられたら手放しで喜ぶべきですが、悪いこと言われても満額受け取る必要は決してありません。
レビューアーの立場・職歴によって当然求めていることも違う訳なので、単なるミスマッチということもあるのです。
また、写真の価値も年を経て変わって行くものです。写真は今しか記録できません。それが後に変化していくのは写真の特性でもあります。
ネットで流れていた言葉に、
ー "現代では「いかに生きるか」が「いかに人に評価されるか」になってしまっている” -
とありました。
響きましたね。
特に写真をやっていると評価されたい、自分を知って欲しいという思いが自ずと湧いてきてしまいがちですね。
悪い事じゃないけど、先に評価・評価・認めて・ボクのことを・・・では、ね。
今日も耳障りの悪い話ですみません。

(c) TatsuoIizuka
今年の1月にイスタンブールに行って撮影した写真が、8月20日発売の「CAMERA magazine vol.9」(枻出版)に6ページにわたり掲載されました。
RX1で撮ったイスタンブールのカラー写真は「f5.6」に掲載されましたが、今回のはローライフレックスで撮ってきた白黒写真です。
ちょっと荒れた感じの印刷となってますが、異国の地の質感・触感がより際だったように思います。
ローライ3.5Fとの付き合いも10年になりますが、手に入れた経緯、イスタンブールでRX1との使い分けなどを記したテキストも写真に添えています。
ぜひ手にとってごらんください。
ちなみに最初のページにあるローライの写真は、届いて箱を空けたばかりのSD1 Merriillで撮ってます。
東川町国際フォトフェスティバルが終わった。
立ち話が多く、のどと足腰が痛い。
ドイツのギャラリーオーナーに見てもらったポートフォリオレビューでは、北海道の田舎町を撮ったこれらの写真は、インターナショナルの場で評価を受けにくいだろう。
と考えれば至極当たり前のことを、やっぱり現実の言葉で断言された。
「あわよくば欧州で・・・」などという淡い期待は消え去ったが、これで色気を出さず、しっかりローカルでこつこつと「記録写真」を撮り続けて行こうと思いを新たにした。
一方、もう一人の日本人のレビュアーからは、良い評価と今後の良いアドバイスをもらえた。
実に腑に落ちる内容だった。
腹をくくること。徹底的にやること。自分の感覚を信じること。一方で既成の方法や概念、思い込みを捨てていくこと。
現在、そして未来という時間軸のなかで、写真がどう受け止められるかを考えること。
など、数年ぶりに受けたレビューは、とてもいい機会になった。
機会を設けてくれた実行委員会の方達に感謝。
多くの写真を見てまわった2日間だった。
若い世代のフレキシブルな発想に感化された。
写真は間違いなく多様化している。
しかし幼稚化している気がしないでもない。
写真とはなにかということを考え、議論し合う場が必要なのかもしれない。
その一翼を担うのが東川フォトフェスタであって欲しいというのは欲張りか。
東川賞の受賞者川内倫子さんのトークイベントを拝聴して、なおそう思った。
多数集まった若い世代に有意義な話をして欲しかった。
川内倫子さんが悪いのではなく観衆を無視した進行のまずさが際だって、残念だった。
評論家各氏の美術サロンで行われるような概念的な話、バックヤードでおしゃべりしているかのような回顧話(内輪話)が主体で、どうしたらあんな写真が撮れるんだろう??という興味や関心を持って集ったであろう我々をがっかりさせたように思えてならない。
アートとしての写真は、難解である、一般には分からなくてよろしいというのではなく、評論家には謎を解き明かす手がかりを示して欲しいと願う。
これらのことが、抽象的で何が写っているのか分かりにくい写真を撮るのが格好いい、アートだと思わせる要因ではないのかとさえ、勘ぐりたくなってくる。
耳障りの悪い話になってしまったが、東川フォトフェスタは、いろんな方の期待感、ドキドキ、そっかーという発見、分かってもらえたという喜び、あるいは落胆などなどがごちゃまぜになって、熱気を帯びたまま2日間が終わった。
実行委員会の方達、ありがとうございました。
立ち話が多く、のどと足腰が痛い。
ドイツのギャラリーオーナーに見てもらったポートフォリオレビューでは、北海道の田舎町を撮ったこれらの写真は、インターナショナルの場で評価を受けにくいだろう。
と考えれば至極当たり前のことを、やっぱり現実の言葉で断言された。
「あわよくば欧州で・・・」などという淡い期待は消え去ったが、これで色気を出さず、しっかりローカルでこつこつと「記録写真」を撮り続けて行こうと思いを新たにした。
一方、もう一人の日本人のレビュアーからは、良い評価と今後の良いアドバイスをもらえた。
実に腑に落ちる内容だった。
腹をくくること。徹底的にやること。自分の感覚を信じること。一方で既成の方法や概念、思い込みを捨てていくこと。
現在、そして未来という時間軸のなかで、写真がどう受け止められるかを考えること。
など、数年ぶりに受けたレビューは、とてもいい機会になった。
機会を設けてくれた実行委員会の方達に感謝。
多くの写真を見てまわった2日間だった。
若い世代のフレキシブルな発想に感化された。
写真は間違いなく多様化している。
しかし幼稚化している気がしないでもない。
写真とはなにかということを考え、議論し合う場が必要なのかもしれない。
その一翼を担うのが東川フォトフェスタであって欲しいというのは欲張りか。
東川賞の受賞者川内倫子さんのトークイベントを拝聴して、なおそう思った。
多数集まった若い世代に有意義な話をして欲しかった。
川内倫子さんが悪いのではなく観衆を無視した進行のまずさが際だって、残念だった。
評論家各氏の美術サロンで行われるような概念的な話、バックヤードでおしゃべりしているかのような回顧話(内輪話)が主体で、どうしたらあんな写真が撮れるんだろう??という興味や関心を持って集ったであろう我々をがっかりさせたように思えてならない。
アートとしての写真は、難解である、一般には分からなくてよろしいというのではなく、評論家には謎を解き明かす手がかりを示して欲しいと願う。
これらのことが、抽象的で何が写っているのか分かりにくい写真を撮るのが格好いい、アートだと思わせる要因ではないのかとさえ、勘ぐりたくなってくる。
耳障りの悪い話になってしまったが、東川フォトフェスタは、いろんな方の期待感、ドキドキ、そっかーという発見、分かってもらえたという喜び、あるいは落胆などなどがごちゃまぜになって、熱気を帯びたまま2日間が終わった。
実行委員会の方達、ありがとうございました。
東川フォトフェスタ・前夜
2013年08月09日 - 日々の暮らし
明日から始まる東川町国際フォトフェスティバルのプレイベント、ドイツのギャラリーオーナーであるミケーレ・ヴィトゥッチ氏のレクチャーを拝聴してました。
海外に向けての作品の発信やヨーロッパのアートマーケットの中の日本の立ち位置などについて具体的な話をしてくれて、とても有意義な2時間でした。
冒頭の「写真家でなくアーティストたれ」という言葉に身が引き締まる思いがしました。
明日、ミケーレ氏によるポートフォリオレビューを受けます。
私が撮っている北海道の町角の記録写真がドイツのギャラリストにどう映るのか、ドキドキですが楽しみです。
そして、レクチャー後、広尾の写真家辻博希さんと、街灯の下で30〜40分立ち話。辻さんにはスタジオ設立前のフォトシーズン時代に手伝ってもらってましたが、顔を合わせるのは年に一度、このフォトフェスタだけ。
でもその関係があって、立ち話ながらも、いきなり核心に迫る深い話ができました。中でも彼がとある写真賞のファイナリストに選ばれているという話はとても刺激的なものでした。
自分のスタンスで写真と風土と取り組みながら、それを世に問い、評価を受けること。本気の沙汰でなければできません。
こうして写真と本気で向かい合っている同志と、唾がかかるくらいの距離で話を持てる機会が、この東川フォトフェスタなのです。
イベントをボランティアで支えてくれている方々には頭が下がる思いです。
今夕の数時間ですでにフォトフェスタを満喫してしたような気分でいますが、明日、明後日と本番です。
仕事の都合もありずっと居るわけにはいきませんが、ぜひ写真の話をしましょう。
私にとっては、世の中の状況と、自分の立ち位置を認識するいい機会です。
凄いなあと思ったり、刺激を受けたり、我が身を振り返って落ち込んだりする貴重な時間です。
それが自分の住む場所で行われることに幸せを感じます。
明日からどうなるか。まずはポートフォリオレビューでたたかれてきます。
写真と本気で取り組んでいる方はぜひ東川町へお越しください。
海外に向けての作品の発信やヨーロッパのアートマーケットの中の日本の立ち位置などについて具体的な話をしてくれて、とても有意義な2時間でした。
冒頭の「写真家でなくアーティストたれ」という言葉に身が引き締まる思いがしました。
明日、ミケーレ氏によるポートフォリオレビューを受けます。
私が撮っている北海道の町角の記録写真がドイツのギャラリストにどう映るのか、ドキドキですが楽しみです。
そして、レクチャー後、広尾の写真家辻博希さんと、街灯の下で30〜40分立ち話。辻さんにはスタジオ設立前のフォトシーズン時代に手伝ってもらってましたが、顔を合わせるのは年に一度、このフォトフェスタだけ。
でもその関係があって、立ち話ながらも、いきなり核心に迫る深い話ができました。中でも彼がとある写真賞のファイナリストに選ばれているという話はとても刺激的なものでした。
自分のスタンスで写真と風土と取り組みながら、それを世に問い、評価を受けること。本気の沙汰でなければできません。
こうして写真と本気で向かい合っている同志と、唾がかかるくらいの距離で話を持てる機会が、この東川フォトフェスタなのです。
イベントをボランティアで支えてくれている方々には頭が下がる思いです。
今夕の数時間ですでにフォトフェスタを満喫してしたような気分でいますが、明日、明後日と本番です。
仕事の都合もありずっと居るわけにはいきませんが、ぜひ写真の話をしましょう。
私にとっては、世の中の状況と、自分の立ち位置を認識するいい機会です。
凄いなあと思ったり、刺激を受けたり、我が身を振り返って落ち込んだりする貴重な時間です。
それが自分の住む場所で行われることに幸せを感じます。
明日からどうなるか。まずはポートフォリオレビューでたたかれてきます。
写真と本気で取り組んでいる方はぜひ東川町へお越しください。
「世界ノカケラ vol.1」
2013年08月06日 - お知らせ

写真は佐藤忠明さんから借用
秋田県湯沢市在住の佐藤忠明さん・田村寛維さん(写真)・中野修一さん(絵画)に手によるフリーマガジン「世界ノカケラ」のvol.1がこのほど発行されました。
1冊送ってもらったのですが、これが三者三様ながらも方向性がひとつの塊となった素晴らしい出来映えでした。
webなどのデジタルコンテンツで低コスト、そしてスピーディーに写真を多くの方に見てもらえる世の中ですが、あえてコストと手間のかかる冊子というモノに編んでカタチにしたことで、作者の想いがより心に伝わる仕上がりになっています。
現在、「世界ノカケラ vol.1」は佐藤忠明さんのwebサイトで無償配布されています。
http://satotadaaki.com/?p=4919
先着100名限定です。
そして、8/10、8/11の東川町フォトフェスタにて飯塚が配布いたします。会場でお声がけください。
想いを手に取れる形にするというのは本当にいいですね。
私も以前「白い夜」というブックレットを作りましたが、このように何人かと組んで作ってみたいと、今強く思うのでした。
夕陽
2013年08月02日 - SD1Merrill
秋の兆候
2013年08月01日 - SD1Merrill