
RICOH GR-DII
今日は家族総出で写真展会場の美唄へ。
3時間もかかって着いたのは午後になってから。玄関で帰ろうとするカップルと行き違う。
すると「あれ、アルバムに載ってた子たちだ」
写真展会場においてある、ボクの家族写真(白黒キャビネサイズ手焼きを、スケッチブックに貼った手作りアルバム)を見てくれての帰りだったらしい。
たまたま立ち寄ってくれた2人だったようだが、「とても良い写真展でした。見られて良かったです。ありがとうございました。」と礼を述べられた。
こういうのって本当に嬉しい。写真展やって良かったと体の中で感じるひととき。
さて、我が娘たち。今日はどこ行くの?って訪ねると「写真展に行くんだ」と張り切っていたはずなのに、会場ではちらっと写真を見てくれたものの、スイッチが入ったらしく、その後は大はしゃぎの走りまくり。木造校舎がよほど気に入った様子。走る走る!
ドタドタ、パタパタ。
こんな写真展、いいなあ。

TAMRON SP MACRO90mm f2.8
連日の快晴。朝、車を走らせていると、一本の桜の木にピンク色の花がちいさくほころんでいるのを見かけた。今年は希に見る早い開花になるかも知れない。
家では東屋に続き、子供たちの滑り台の制作に取りかかった。
基礎になる束石を埋めるために穴を掘るのに、一苦労。
午後には炎天下となり、フラフラしながらの作業となった。
今日の暑さで、ウチの若い白樺も芽吹きだした。明日には若葉を広げてくれることだろう。
2年前に近所の空き地に生えていたものをスコップで掘り起こし、植え替えた白樺が10数本ある。
細くて弱々しく、また環境に馴染めずに枯らしてしまった木も何本かあるので、残っている木の無事の成長を願わずにいられない。今年も芽吹いてくれるか気が気でなかった。
春霞と言うのか黄砂の影響か、この時期夕陽が真っ赤になって沈む。

ついにテラス完成。
GR-Dにワイコンつけると広く見えるなあ)
こんなしょぼいもんでも一週間。
一週間も費やせるのがフリーのメリット。
いやデメリットか・・・。
これで昼間っからビール呑んで、本でも読むか。
フリーランスに栄光あれっ!
20日日曜日午後、アルテピアッツァ美唄の会場に居ます。
今回はチビたち連れてなので、じっくり滞在とはいきませんが。
大阪からNorthern Worksのseraファミリーも来てくれることになってます。

ポカポカとした陽気の中で、汗をかきつつ水辺のテラス(!)を制作中ですが、数日前はみぞれ。外はうっすらと雪景色の中、取り寄せた一冊の本を夢中になって読みました。
栂嶺レイ写真集「知床開拓スピリット」柏艪舎
写真集とありますが、丁寧な取材を元にしたドキュメンタリーです。
人を寄せ付けない厳しい気象と大自然ばかりのイメージ一色の知床ですが、かつてそこには人が住んでいたのです。戦後まだ混沌とした時代に国の施策として開拓に入った人たち。原生林を切り開き、畑にし、集落となり、ついには小学校まで作り上げ、暮らしていました。
しかし数十年の後、施策が変わると、その地を追い出されるのです。そのきっかけは知床の国立公園への指定でした。観光道路が畑を横切り、自然いっぱいの知床に人が住んでいるのはよろしくない、という理由です。
そして近年、知床の世界遺産への登録によって、知床には「手つかずの自然」しかないという図式が描かれ、かつてそこに人々の営みがあったことを闇に葬り去ろうとしているかのような風潮が存在します。
そのため、今は別の場所に暮らすかつての開拓者の一部には、自分の子供や孫のために開拓者であったことを公にしたくない人がいるのです。そのため、文中の登場人物は全てアルファベットの頭文字で表記されています。
Mさん、Yさんと呼ばれなくてはならない人たち。
日本にそういう歴史があったということ。いや歴史でなく、今そういう事実があるということに愕然とする思いを感じたのでした。
筆者は人間の矛盾に憤りを感じながら、取材を重ねていったのでしょう。執念を感じる一冊です。そして写真も美しい。
美しい写真には、必ずバックボーンが備わっているものです。
そしてこの本で、一番ハッとしたのは、その開拓地で暮らしてた日々を「自然と肩を組みあったとでもいうような夢のような暮らしだった」と語った人がいるということだ。
勝手に外から大変だろう、悲惨だろうと思いこんでいるだけで、人々は豊かな暮らしを謳歌していたのかも知れない。物質的な豊かさではなく、個人的な豊かさではなく、家族やコミュニティーの豊かさがその地にはあったのかなと想像してみた。
話は飛躍するが、紛争で話題のチベットやミャンマーにだって日本より豊かな暮らしがあるかも知れないということを思う。
こういう真摯な取り組みを形に仕上げた本は、たくさん売れて欲しいと願う。書店で目を引くのはタレント本と、巧みなキャッチコピーが踊る本だけ。
北海道を書いたこの本。札幌の出版社が出しているのだが、旭川の大手書店で売っていなかった。単なる品切れなのかも知れないが、今ひとつ釈然としない思いでアマゾンをクリックし購入する。

仕事もせんと、この数日こんなもん作って遊んでます。いや、嘘。見栄張りました。
仕事がなくて暇。それに遊んでるんじゃなくて、遊ばれてます。必死こいてやってるねんけど、穴掘ったり、まっすぐ立てたり、水平取ったり、強度出したり、なかなか思うようにはいかない。しかも青タン3カ所、作ってしもた。
なまけきった日々で、目一杯力込めるってことって滅多に無いから、体中ガタガタになってきた。それでもメシが旨い。作業後のビールが旨い。
一本ずつ切って、ネジ締めてよしと思って離れて見ると、何じゃこれ?っていう感じ。
ウチの敷地に放置してた廃材を使って作るってのが大前提にあったんで、曲がってたり、欠けてたりで余計に大変やし、それに何か半端な寸法。
一応、東屋。水辺を見下ろす位置にあるテラスでごじゃる。
湖なら格好いいけど、農業用池です。
それでもこれからの季節は十分気持ちいい。
ここでビール呑みたいなと思って作ってるという訳です。子供のためじゃないよ。
この先どうしようかなあ?屋根は張らず、日よけのすだれを載せられるようにするのと、ベンチも欲しいやね。腰の部分はどうするか??
こんな程度のくせして、大胆にも自分のアトリエ(!?、オフィス?、仕事場?作業場?)をセルフビルドしようと画策中。只今2×4のセルフビルドの教科書を手配してます。上手く作れる自信はないけど、やり遂げるという踏ん切りがつけば来月にも着工したい。
といってもせいぜい12畳程度のもの。ギャラリーや、溢れかえっている機材や写真、本の収納スペースを考えると、その倍は必要なんだけど。まずは小屋程度のものから。

EPSON R-D1s CarlZeiss G Biogon 2.8/28T*
我路の町、郵便局の裏手にある大きな煙突。
焼却炉なのか、ボイラーなのか。
郵便局の建物内に共同浴場があるのを数年前の訪問で知った。週に数回、それも限られた時間だけ湯が張られる。我路に残った十数名の(おそらく老人)共同浴場であり、コミュニティーである。
我路の最盛期の頃からあったものなのか?
先述のご婦人、小松さんが一冊のアルバムを持って写真展会場に来られた。あまりにボクが昔話を聞きたがるもので、ご足労くださったのだ。
そこには6×6の白黒写真が貼り付けてあった。
「これが私の育った寺なのよ」と指さした一枚の背景に、うっすらと我路の町並みが見て取れた。お寺が坂の上にあって、町並みがその坂の下に広がっている。そこにこの大きな煙突が写っていた。
明日4月13日(日)は写真展会場に居ます。お立ち寄りください。

EPSON R-D1s CarlZeiss G Biogon 2.8/28T*
アルテピアッツァ美唄の谷を少し上流に上っていくと、我路(がろ)という集落に行き着く。
かつてのヤマの中心街。数万人が暮らす生活の、核になっていた場所だ。
閉山から約40年。ここに暮らすのは今や10数人だと聞かされた。
廃屋が目につく集落で、唯一往時を偲ばせるのがこの郵便局。
街灯もほとんど無い集落に、オレンジ色の明かりが辺りを照らす。
ここが街の中心部であったということの証しのように。
向かいの空き家の窓ガラスにもそのオレンジが映る。
我路は通常「がろ」と表記するが、住んでいた人たちは「がろう」と呼んでいたという。写真展の会場で知り合ったご婦人に教えていただいた。その方は我路のお寺に生まれ、少女期を我路で過ごした。お寺はアルテピアッツァの少し下の集落に移っている。
左の欄にこのブログの写真と文章の扱いについての但し書きを追加しました。
以前にも同様のものを書いたはずですが、更新を重ねている内に消えてしまっていたようです。
改めて書きますが、全ての写真と文章は飯塚達央の著作物であり、これを私に無断でコピーして使用することはできません。
これは私がプロカメラマンだから主張することではありません。プロアマ関係なく、その人が撮った写真、書いた文章には自動的に著作権が発生し、著作権法によって保護されることになっています。登録する必要もなく、但し書きをする必要もありません。
ボクのブログも含めて、全ての方のブログやサイトの写真を勝手に使うことは出来ないのです。法によって保護されていますので、勝手にコピーして使うことは法律を破ることになります。
このことを全く知らないという方はいないと思うのですが、改めて認識していただきたいと思います。
但し、著作物の引用と、私的使用は法律で認められています。
平べったく言うと、ボクの写真を自分のサイトで公開しないでください。
さも自分が撮ったかのように装って使用するのは、尚さら言語道断です。
風景写真を使われることは前にもあったのですが(一番びっくりしたのはテレビCMにボクの写真が流れていたこと!)、今回のは人物写真です。
あるブログに写真とともに、撮影のシチュエーションやその人物との出会いまで創作されているのを見つけてしまいました。
写させていただいた方に何と申し開きすればいいのでしょう。その方が、別の存在だとして扱われていたのですから。
人を撮らせてもらった写真の発表には、今後もっと注意を払わなければなりませんね。発表のあり方そのものも含めて。
ちょっとショッキングな出来事でした。
丁度ある方のブログでも写真の流用についての話が載っていたこともあり、上の話を書きました。
著作権のことや、他人の撮った写真の取り扱いの認識が希薄なのではという警告を含めてです。
ちなみにこのブログはリンクフリーです。ご自身のブログの記事内に、ボクのブログのエントリーのアドレスを記載していただくことは歓迎です。こんなことを言ってるという部分的な「引用」も問題ありません。写真を貼り付ける必要がある場合はお知らせください。
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このことを全く知らないという方はいないと思うのですが、改めて認識していただきたいと思います。
但し、著作物の引用と、私的使用は法律で認められています。
平べったく言うと、ボクの写真を自分のサイトで公開しないでください。
さも自分が撮ったかのように装って使用するのは、尚さら言語道断です。
風景写真を使われることは前にもあったのですが(一番びっくりしたのはテレビCMにボクの写真が流れていたこと!)、今回のは人物写真です。
あるブログに写真とともに、撮影のシチュエーションやその人物との出会いまで創作されているのを見つけてしまいました。
写させていただいた方に何と申し開きすればいいのでしょう。その方が、別の存在だとして扱われていたのですから。
人を撮らせてもらった写真の発表には、今後もっと注意を払わなければなりませんね。発表のあり方そのものも含めて。
ちょっとショッキングな出来事でした。
丁度ある方のブログでも写真の流用についての話が載っていたこともあり、上の話を書きました。
著作権のことや、他人の撮った写真の取り扱いの認識が希薄なのではという警告を含めてです。
ちなみにこのブログはリンクフリーです。ご自身のブログの記事内に、ボクのブログのエントリーのアドレスを記載していただくことは歓迎です。こんなことを言ってるという部分的な「引用」も問題ありません。写真を貼り付ける必要がある場合はお知らせください。

EPSON R-D1s CarlZeiss G Biogon 2.8/28T*
土日と泊まりがけで自身の写真展会場であるアルテピアッツァ美唄に行ってきました。わざわざ見に来てくださった方々、偶然お会いできた方もありがとうございました。
数年ぶりに会いに来てくれた人もいましたし、遠くは伊達、釧路、さらには(北海道に帰省をかねて)山梨、はたまた大阪から日帰り!なんて方も。
嬉しいと言うより、どうしていいのかうろたえますね、正直。
それにしても凄い場所です、アルテピアッツァ。そこはひっそりとした旧産炭地の山と山の間にある公園。世界的作家安田侃(かん)の触り放題(!)の彫刻が点在し、何と言っても、昭和24年に建てられた木造校舎が赤茶けた姿で佇んでいるのです。
木造校舎に足を踏みれると、ぎゅぎゅぎゅっと床のきしむ音。どことなく埃っぽいような香り。
笑みを漏らす人もいるし、薄暗い廊下に不安になる人もいるようだし。
懐かしそうな表情の人が多いのだけど、実際ボクも含めて木造の学校に通っていた人なんて僅かしかいないはず。
そんな場所の力も最大限にお借りして、写真展が思いの外(実力以上に)盛況で、好反応です。すっかり雰囲気に浸ったあとに見る写真ですから。
飾った当初は違和感たっぷりでしたが、それも2週間も経つとすっかり馴染んで見えてきました。
外の雪が無くなってきたこともその要因でしょうか。2週前はまだたっぷりの雪がレフ代わりになって、青白い光が写真を照らしていたのですが、薄茶色の土や草が顔を出してくれるようになったのです。それが写真の見え方にプラスに作用してきたのでしょう。
それに皆さんから、写真と会場がぴったりだねと言われるものだから、すっかりその気になってきたのが大きいのかも。
今では違和感なく溶け込んでいるような感じがしています。本当なら、今日が最終日でしたが、会期が延長となり、5月6日まであと一ヶ月展示されます。
(明日(4/7日)は休館日です)
白黒なのに、色が見える。そう感想を書き残してくれた方がいました。

R-D1s G Biogon28mm
写真展会場のアルテピアッツァ美唄周辺は、かつて炭坑があったところ。
山に囲まれ、川が流れるこの狭い谷間に、何万人もの暮らしがここにあったという。30年ほども昔の話。にわかには信じがたいが、山の斜面にへばり付くように炭住がいくつも並んでいたという。
当時の面影を残すモノがまだ少し残っている。
一つはアルテピアッツァ美唄。美唄市立栄小学校。
その近くには映画館の跡がある。今は立ち入り禁止の看板があって、行く手を阻んでいるが、前にちょこっと覗いたときには、正面にはステージがあったような様子、入り口側には映写室のような部屋が見て取れた。
川沿いには、鉄道が走っていた。レールははがされているが、廃線跡だとハッキリ分かる。沿線で唯一、東明駅だけは駅舎が保存されていて、SLも置かれている。石炭を満載して運び出していたSLだ。
駅の近くの集落には晩年に建てられた炭住とおぼしき長屋が、いくつか並んでいる。半分くらいは空き家のようで、玄関廻りに雪がまだ積もっている。
ここで団地共同浴場と掲げられた建物を見かけた。
入れるのは6時から7時半と書かれているので、1時間半の間だけということになる。
たぶん、掃除当番、鍵開け当番が割り振られているのではと推測する。
夕張にも同じような共同浴場があるのを知っている。
かつてはどこにでもあったであろう集落での共同生活。
それがひっそりと残っている。
今週末、土日と写真展会場に居ます。周辺の散策もあわせていかがでしょうか。
話変わってホームページのデータ削除の件では、何人もの方からアドバイスのメールなどを頂きました。サーバー上のデータをダウンロードしたのですが、BiND for Webというソフトの特性上、そのデータだけでは元通りには復旧しないようです。BiNDを使わないで、更新していくしかないようです。その方がノーマルなやり方なのでしょうが、どうにもとっつきにくくて・・・。
ともあれご心配いただいた方にはこの場でお礼申し上げます。ありがとうございました。
追記:何とかTOPページの写真展の日付の部分の訂正と、DM写真の入れ替えには成功しました。光明が見えてきました。ホッ。
追記:以前のエントリーで4月7日(月)を在廊予定にしていましたが、その日はいられなくなりました。あしからずご了承ください。写真展はやっています。
次の休館日は4月8日(火)です。

Leica M6 Summar5cm ソウルにて
ギャラリーのようです。写真展の案内らしき看板があったのですが、準備中のようで閉まっていました。
ソウルの市内、特にインサドン通りにはたくさんのギャラリーがあります。小さなギャラリーから、ビル全体がギャラリーになっているようなものまで。ボクが写真展をやったギャラリーLUXもインサドンにありました。小さな階段を上っていった3階にあり、目印があるわけでもなく、通りに人はたくさんあるのに普通は通り過ぎてしまうような所です。
それなのに、お客さんはやってきます。
ギャラリー案内のフリーペーパー(20ページくらいのボリューム)が発行されていて、それを片手にギャラリー巡りをしている人が多いのです。
その展示会には、写真のみならず、絵画、彫刻、陶芸、書、生け花などなどいろんなジャンルがあります。
中でも勢いを感じるのが、現代アートと呼ばれるジャンルでしょうか。天井高のあるギャラリーで現代アートの作品展が行われています。
派手好き、でかいモノ好きな韓国人。でも、繊細で、フィニッシュも見事です。
それと同じ並びで、写真展が行われています。アートの中に写真が入っています。
横幅何メートルもあるような写真が飾られているのをよく見かけます。仕上げはだいたいアクリル仕上げというのでしょうか?透明のアクリルの中に写真があるような感じです。
日本より遙かにデジタル化の進んでいるソウルですから、撮影もプリントもデジタルが主流です。題材はつかみ所のないようなモノが多いです。コンセプチュアルというのでしょうか?
現代アートの中の写真というものが写真展の主流になっています。
その中で、ボクの写真展は古典的な写真という言われ方をしました。無理もないです。
ソウルでは何人かの若い写真家(志望)と話をしました。多くが写真展経験者です。写真展には大きなサイズの写真が必要です。写真を直接壁にピン張りなんてことはソウルではあり得ません。どういう形態で見せるのか、フィニッシュにかなり重きを置いています。ちなみに白黒写真はRCプリントは絶対ダメで、人に見せるにはバライタしか通用しません。先日お話しした通り、写真展には立派なリーフレットも用意します。そこには写真展のコンセプトがびっしり書き込まれています。コンセプトが相当問われます。
このように写真展をやることが写真家として認知してもらうステップで、そのために日本でやるよりも大きなお金が必要です。
彼らと話していて感じるのは、彼らはものすごくストイックです。バイトしながら写真やってますとか、本業カメラマンで、写真家というのが余りないようです。数年働いて、写真撮り続けたり、海外に行って写真を勉強したりということを続けているようです。親に借金して写真を続けるというスタイルも多いように思います。写真展などを通した活動が認められ、海外留学の資金を貰えるような制度があることも聞きました。政府系のものと、大手企業による芸術支援のようなものです。
あと写真ギャラリーでは、いわゆるメーカー系のギャラリーがソウルのはありません。カメラメーカーや、フィルムメーカーの無料で借りられるギャラリーが存在しません。あるのは民間ギャラリーです。
高級住宅街の一角に、大手自動車メーカーなどのギャラリーがあり、前述のような現代アートの展覧会がひっそりと(おごそかに)行われています。ボクなどがとても入れそうな雰囲気はありません。
民間ギャラリーのオーナーは、おそらくですが、ハイソサエティーの方だと思います。どんな展示を見ても、売れそうなものはありません。そういうサイズのものがないのです。
写真でいうと8×10インチなんてのは存在しないのですから。
サイズをいとわず買う方はそれでもいるのでしょうが、ソウルはそういう所でした。
作品展はやる方も、場所を提供する方も持てる力をぶつける場というのでしょうか。
そんな印象を強く受けました。(あくまで個人的で断片的な印象ですけど)

Leica M6 Summar5cm ソウルにて
写真展の日程が延期になった(好評につきというのはマユツバものだね)ので、HPの記事も書き変えないとと、ソフトを起動させたら「データが見あたりません」!
どうやら、写真展の初日が済んでホッと一息、部屋の片付けやらハードディスクの片付けをした際に、勢い余って必要なファイルまでゴミ箱行きにしてしまったらしい。すでにiMacのゴミ箱を空にしてしまっている。さーっと血の気が引く。
仕方なくデータ復旧ソフトをダウンロード購入して、「サルベージ」させてみた。が、ファイル名がずっかり変わってしまっていて収拾つかないことになっている。ボクにはもうお手上げだ。
ここまで作り上げるのに何日費やしただろうか?元のデータがソフトの指定するHD上にない限りは追加更新ができない。
新たに一から作り直すしか術はないのか?力が抜けた・・・。
詳しい人なら、サーバ上のデータを活かして、追加更新していけるのでしょうか?
全く疎い、我が身を恨んでみたところで空しさだけが募る。
朝、そんなバタバタがあったのだけど、今日は暗室に入ってきた。写真展の準備でもう当面暗室には入りたくないと思っていたけど、やっぱりやりたくなってきた。それは展示が終わった写真を自分で見たり、見に来てくれた人たちの反応を聞いたりしたからだ。
それにある写真家の方が見に来てくれて、手みやげに白黒プリントをプレゼントしてくれたのだった。そのプリントのまあ見事なこと!どうしてこうも違ってくるのか?マジックは使って無いはずだろうし。
やっぱり白黒写真をとことんまでやってみたい。
と決意を新たにしたのだった。
さて、今日焼いたのはソウルで撮ったネガ。帰国して早々、ざっくりセレクトしたコマをRCに。さらにお気に入りをバライタでも焼いておいたのだけど、スナップ写真って後で見ると選に漏れた写真の方が良かったりするものだ。だから後でも見直しできるようにベタ焼きは欠かさないようにしている。
そういうコマを20コマ、RCの8×10インチにバババッと焼きあげた。バライタと違ってRCはスピーディーだから、これはこれで楽しい。
号数、秒数も直感でどんどん焼き進めていくのだ。
最初に焼いておいた写真と、今日焼いたのを合わせてそこからセレクトし、ある雑誌に送るつもりだ。旅をテーマに写真を募集している。
その雑誌には前々回は、送った写真が通って掲載してもらうことが出来た。前回は自信があったし、反応は良かったのに掲載には至らなかった。だから今回は是非リベンジしたい。