オカン2006 / 04 / 06 ( Thu )
リリーフランキーの「東京タワー」。2/5あたりまで読んで泣けて来た。本読んで泣くのはいつ以来だろう?「東京タワー」は「オカンとボクと、時々、オトン」と副題にあるように、自分の家族のことを綴った著者の自伝的小説だ。そこに描かれているオカンを中心にした家族の様子と、自分の家族のことが少し重なる所があったのだ。ボクが生まれ育った家というのは、本に出てくるヤクザなオトンではなく、同じ家にいるだけの父権を持たないようなオッサンと、家長としての役割を持ったオカン、それとネエチャンで2DKの狭いマンションに暮らしていた。家が嫌いで、大学進学にかこつけて家を出たかった。そのために6畳間でオッサンとネエチャンが寝てる横で電気スタンドを点けて、ヘッドフォンしながら受験勉強した。250ccのバイクにボストンバックくくりつけて引っ越しするとき、マンションの4階の窓から手を振るでもなく、じっと見ていたオカンの姿を思い出した。自分はエリートサラリーマンになって、部長になって、ボーナスもらうこと。それが夢だった。ちゃんとした会社には入れて、それを機にオカンは離婚したのだが、ボクはというと5年で会社を辞め、住所不定無職の放浪生活に。その結果北海道に行き着いて、写真屋さんに就職する。「富良野っていうとこの写真屋さんで働かせてくれることになってん」と電話すると「よかったなあ」とひと言言われた。その写真屋も2年しかもたず、以来フリーランス(無職、低収入)生活が始まる。そんなどん底に近い頃に結婚した我々夫婦。披露宴はバイト先の居酒屋だった。一応着飾った新郎新婦の入場で、みんなが「まりちゃん(ウチの嫁)かわいい〜」という声が連発するなかで一人「タツオもええぞーっ」と言ったオカンは美瑛でも伝説のオカンとなった。そのオカンも自分の名前のついた店を畳み、ビルのお掃除オバチャンになった。体がいうことを利かなくなってそれも辞め、ネエチャンと天王寺のマンションで慎ましく暮らしてる。それでも相変わらず前髪には紫色のメッシュが入っている。めったに電話もせず、帰省もせず、離婚したこともしばらく知らんかったくらいだったけど、娘の若菜が生まれたことが少しは親孝行になっていてくれたらと思う。秋には第二子が生まれる。もし男だったらボクの生まれ育った家族と同じ構成になる。ちゃんとした家族をつくること。やがて訪れる若菜やその下の子の結婚式で「優しくてかっこいいお父さん、今まで育ててくれてありがとう」って言ってもらうのが今の夢となった。
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