美瑛のトーチカ

2015年08月06日 - 北海道の戦争遺産

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(c)Tatsuo Iizuka



今、大勢の観光客で賑わう美瑛。
そのうちの1%の方にも知られていないけど、美瑛の丘にトーチカ(防衛陣地)が一基ある。
それも撮影スポットとして賑わう「赤い屋根の家」(最近ではメルヘンの丘と呼ぶらしい)のまさに屋根の上あたりにあって、知らず知らずのうちにみんなの写真に写り込んでいる。
丘の稜線に木がこんもり盛り上がった塚のようになっているのがそうだ。

入り口はその反対側にある。
草むらをかき分けると
木々に覆われたコンクリートの塊が見える。
長年の風雪で、その肌はぼろぼろとこぼれ
鉄骨や、大きな石までが露出している。

屈みながら入り口を入ってみる。
暗がりに目が慣れると
中は4畳半くらいの広さなのが分かる。
細長く取られた開口部(銃眼)から外の様子がうかがえる。
そして銃身が敵に向けられるようになっている。
開口部の下にある棚は、銃の台座を載せるためだろうか。


明治40年から終戦まで、美瑛は旭川の第七師団の演習場だった。
美瑛の丘(三愛・新星・福富・水沢あたり)で、戦争に備えて訓練していたのだ。
このトーチカは敵に対する防衛陣地ではなく、演習場の施設のひとつ。
敵軍と戦うためのものではなかったのが救われる。
それでもここに軍服をまとった兵士たちがいた時代があったのだ。


北海道/美瑛町
SIGMA dp0 Quattro








「戦争遺跡」

2015年08月05日 - 北海道の戦争遺産

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「写真は記録」
その一つとして、北海道や本州、九州の戦争遺産を撮ってきました。
(といってもまだ少しですが)

そんな写真のいくつかがこのたび雑誌に掲載になりました。
「戦争遺跡」(プレジデント社)です。

誌面のなかで、北海道の函館要塞、太平洋岸のトーチカ、道東の掩体壕(えんたいごう)のページに
写真が使われております。
そして表紙も飾っています。
こちらは根室半島のトーチカです。

副題は「この国は70年前、戦争をしていた。」
となってます。
興味がある方はぜひ書店でお求めください。






浅茅野飛行場

2013年08月25日 - 北海道の戦争遺産

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(c)Tatsuo Iizuka

音威子府からオホーツク沿岸(浜頓別など)を通って稚内へと続いた天北線。
のちに幌延を通る現在の宗谷本線が開通するまで、稚内、そして樺太へのルートはこの天北線(当時は宗谷線・のちに北見線と改称)が担っていた。
主要ルートを宗谷本線に譲ると、天北線はローカル線へと成り下がった。
そして1989年(平成元年)に天北線は廃止となる。

写真は天北線の旧「飛行場前駅」。
かつてレールが引かれていたところは舗装され、サイクリングロードとなっている。
ホームは質素な板張り。
今やクマザサに覆われ、自然に還りそうな様相だ。

「飛行場前」駅といっても、実は昭和30年の開業時にも周辺に飛行場はなかった。
名前の由来は、かつて付近に旧陸軍の浅茅野(あさぢの)第一飛行場があったことに由来する。

浅茅野第一飛行場は、ソビエト、千島・カムチャツカ防衛を目的として建設された。
昭和17年に着工し、19年には完成しているが、ほどなく終戦を迎えた。
完成を急がれたため、多くの中国・朝鮮人を含んだ強制労働が行われ、過酷な状況下で多数の人命が奪われた現場でもある。


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(c)Tatsuo Iizuka

かつて浅茅野第一飛行場のあった場所は、牧草地が広がるのみ。
飛行機を敵軍に見つからぬよう格納した掩体壕(えんたいごう)の跡が、その牧草の中にひっそりと残っている。
写真の奥、草がこんもりと盛り上がっているのが見て取れるでしょうか。





稚内赤れんが通信所

2013年08月24日 - 北海道の戦争遺産

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(c)Tatsuo Iizuka


「ニイタカヤマノボレ」
1941年に真珠湾攻撃を命じる暗号電報を艦隊に送った(中継)とされる旧日本軍の無線送信施設が、稚内の郊外にある。
旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(愛称:稚内赤れんが通信所)。
昭和6年、秘密裏に建設された。
終戦後、米軍が駐留したのち、昭和47年に日本に返還されるものの、防衛上、立ち入り禁止は長く続いた。
平成18年に稚内市に管理が移管され、ボランティアの手によって保存がなされている。
しかし昨年の大雪で屋根が崩落し、現在はごらんの様子。
レンガ造りの貴重な戦争遺産が永く残ることを願うばかりです。

許可を得て立ち入り、撮影しています。






函館山要塞

2013年05月21日 - 北海道の戦争遺産

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(c)Tatsuo Iizuka
RICOH GR


こちらは夜景で有名な函館山に今も残る、要塞跡。
日ロ戦争前にして日本陸軍は、函館山にいくつもの軍事要塞を築き上げました。
海上から見えない位置に大砲を置き、
津軽海峡を見渡せる位置に観察所を設け、敵軍の来襲に備えたのです。

軍事上の秘密を守るため、数十年の間、市民の立ち入りが規制されていたという函館山。
今では自然にふれあう場所としてハイキングコースが作られています。
その中に要塞の跡が残っているのです。

写真は千畳敷にある戦斗司令所跡です。
奥に見えるのが函館山のロープウェイ駅がある展望台。
実はその展望台も要塞の上に立っています。

3枚目の写真が司令所内部の電話室です。
レンガ造りの神殿のよう。
このような美しい状態で軍事施設跡がみられるのは全国的に珍しいようです。








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飯塚達央
写真の町、北海道東川町在住の写真屋、飯塚達央。1968年大阪出身の48才、脱サラし北海道移住20年目になります。
北海道・東川町で写真スタジオ「フォトシーズン」をやってる写真屋です。日々、ブライダルやファミリーフォトを撮っています。
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