
(c) TatsuoIizuka
久しぶりにチェーンソーを引っ張り出し、2日に分けて庭の木を7〜8本切り倒した。
この家に移り住んだとき、道路の向こう側の林にあった白樺の若い木を掘って自分の庭に植えたやつらを。
そのときは、こんなに大きくなるとは思わなかったけど
9年経って、背丈を伸ばし、枝を広げ、葉を茂らせ、
やがて庭の畑に陰をつくり、衛星放送の電波を遮り、高圧線や隣の家の屋根に引っかかりそうになっていった。
つまりは邪魔な存在になってしまったのだ。
そういえば当時近所の人たちから、白樺を植えるなんてやっぱり余所から来た人は違うね・・・と言われたことを思い出した。
ウィーン、ウィーンと甲高い音を響かせ、目立ての悪いチェーンソーで悪戦苦闘しながら、
自分で植えた白樺を倒していく。
申し訳ないという思いを断ち切るように、2サイクルエンジンのアクセルを吹かせていく。
切った幹は、輪切りにして小屋に積む。
秋まで乾燥させたのち、太いものは斧で割り、この冬の暖を取る薪にする。
「草の芽カフェ」の冬の営業には、薪ストーブの力が欠かせない。
身勝手といわれれば、返す言葉もないけれど、
木の命を頂戴し、冬の寒さをしのぐのだ。
写真は数日前に切った根元。
幹は切り取られたと言うのに、芽吹きのためにぐいぐいと吸い上げられた水が、切り口を湿らせていた。

(c)Tatsuo Iizuka
夕方、近くの池に白鳥を見に長女と出かけた。
次女は見たいテレビがあるからと拒否権発動。
この時期、渡りの途中の白鳥たちが、しばし羽根を休めに来ているようだ。
日が沈むタイミングで、周辺の田んぼからねぐらにしているこの池に戻ってくる。
くわーくわーと鳴く声が響き渡り、なかなかの光景だ。
でも望遠レンズも、動体予測の優れたAFカメラももう持たなくなったので
白鳥はながめるだけ。
代わりにほとりに落ちていた軟式ボールにレンズを向ける。
暗くなるまで野球ごっこをしていた頃を思い出した。
いや、そんな時代もあったんですよ。
SIGMA SD15 24-70mm F2.8 IF EX DG HSM
高解像度と画素ピッチ
2013年11月29日 - SD15

(c)Tatsuo Iizuka
最近SD1Merrillと18-35mm f1.8の解像度の高いカメラとレンズの組み合わせを頻繁に使うようになって、実はちょっとした違和感を覚えてきている。
どうも解像度が高すぎて、写りすぎような気がするのだ。
写った画像をモニターで見ると、肉眼を越えて細かく描写されていている。
解像度が上がるとリアリティーが増して良いと思っていたけど、見えないところまで見えて逆にリアリティーがなくなるってことはないだろうか?
そして画面のなかの見せたい部分に注視してもらいたい、というときも
周辺までビシッと写り過ぎてると、困ることもあったりする。
描き過ぎって言うのかな。
主題が紛れ込んでしまう。
それを防ぐためには、画面の整理や、アングルの工夫、ライティングの見極め、被写界深度のコントロールなどがさらに必要とされる。
やはり解像度の高いカメラを扱うには高い技術が要求される。というのか。
今日、解像度の低いSD15(小さめのAPS-C 1400万画素)を持ち出して、SD1 Merrill(APS-C 4600万画素)と撮り比べてみた。
と言っても厳密なものじゃなく、近所のスナップだけど。
今日撮った限りでは、あまり違いは出なかった。
遠景の描写はSD1の方が解像しているのがはっきりと分かる。
だけど、A4サイズにプリントすると、ほとんどその違いは消え失せる。
データーサイズでは3倍の開きがあるのに、プリンターの解像度が追いついていない。
全紙、全倍、それ以上の大伸ばしでは違いがでるだろうけど。
それとて自分のオリジナルサイズはA4あるいはA3です。と言ってしまえば関係なくなる。
画素ピッチの差による描写の違い。
実はこっちに興味があった。
ピッチの広い(画素数の少ない)SD15の方が、濃厚な絵が撮れていた、階調が豊か、あるいは色の分離がいいという印象がしてたのだけど、
今日のところはどっちがどうというハッキリした違いは見受けられなかった。
この辺は、もっと撮り重ねていくことで明らかにしていきたいと思う。
ところで、相次いで発売になった2400万画素のSONY α7、3600万画素のSONY α7R、そして1600万画素のNIKON Df。
同じフルサイズセンサーで画素数の違いが写りにどう影響するのか、気になるところ。
現行デジカメの中で最も広い画素ピッチのNIKON Df(D4と同じ)が発売になった今日、
APS-Cで600万画素のEPSON R-D1sを持ち出してスナップしてみたりして、
カメラ選び、迷走、は依然として尽きない。
ひょっとしたら、Nikon Dfがデジカメの高解像度競争に一石を投じることになるのではと個人的に関心を寄せている。