ジオラマ
2009年12月17日 - FUJI GA645
小湊鉄道1
2009年12月12日 - FUJI GA645



和歌山の余韻冷めやらぬうち(フィルムスキャン終わらぬうち)に、先週、羽田へ飛びました。
目的は東京でサルガド展他写真展鑑賞、プロモーション(売り込み)、それから鉄分補給に千葉の小湊鉄道へ。
憧れのキハ200系。五井駅でカラカラというエンジン音を鳴らしながらホームに佇む姿に、感激で涙が出そうになりました。そう電車じゃなく、ディーゼルカー。肌色と赤色のツートンカラー、かつての国鉄を彷彿させる色をまとった気動車です。
東京から小一時間の場所に、こんな車両が現役で走る鉄道があるんです。
フリー切符を買い求め、はやる気持ちで早速車内に乗り込もうと思ったら、ドアが閉まってる。車中には既に乗客が乗ってるというのに。
寒冷地だとボタンを押すとドアが開くようになってるんだけど、ボタンの類は見当たらない。
はて、困った。乗りたくても乗れない。という洗礼を受ける。
しばらくホームで途方に暮れてると、次の乗客がやってきて、手慣れた様子でドアを手で開けたのでした。
おおそうか、手動ドアか!
しかもドアの引き手は、自然に手が伸びる位置になく、はるか足下、すねの辺りにあるのです。
足を曲げないとドアを開けられない。
なんというアン・ユニバーサルデザイン!昭和のプロダクト!昭和36年生まれの気動車ですから。
とおおげさに感動。
オレンジ色のロングシートに座り発車を待っていると、背広姿のサラリーマンがドアの前で立ち止まる。どうやら小湊鉄道初体験の面持ちです。
そこでボクは先輩顔して、下の引き手を自分で開けるんだとジェスチャーで教えてあげたのでした。
無事に乗車できた背広氏は、ほほうという顔でボクに会釈を返してくれたのでした。
やがて発車の時刻が近づくと、一両ぽっきりの車両の前には運転士。後ろには車掌が乗り込みます。
ローカル鉄道にありがちな、ワンマン運転ではないのです。
乗客10人ばかし。乗務員2名体制という贅沢な布陣です。
するとドアが自動で開きました。この後は、車掌士の的確な指令の下、ドアは自動で開かれて安全な乗降が約束されるのでした。
そりゃそうだよな・・・。
この項、きっとつづく。
明日13日(日)、19日(土)はアトリエ公開日です。10:00~16:00
10時から開けますが、今日のような大雪、アイスバーンのようなら無理して来ないでくださいね。
天気が良ければ東川町文化ギャラリーでの「東川フォトクラブ写真展」も併せてごらんください。
こちらは10:00~17:30 言い忘れましたが町民100円町外200円の有料施設です。
同時開催の東京の写真家中村友一氏の写真展「ぶらり美瑛散歩」も含め、見応えたっぷり。です。
〒071-1461北海道上川郡東川町東11号南4
東川町道の駅「道草館」よりさらに7km旭岳天人峡方面に進む。
東11号バス停すぐ裏。
東川町文化ギャラリーは「道草館」を北に曲がり300mってとこか。
アトリエの地図はこちら。
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山と海のあいだ
2009年12月10日 - FUJI GA645
無人島に遺されたもの1
2009年12月04日 - FUJI GA645

和歌山の加太より船で渡りたどり着く小島。通称「友ヶ島」。
そこは紀淡海峡にあり、大阪を守るべく旧日本軍が明治期に、砲台などの軍事施設を設けた要塞島です。
第二次大戦が終わるまで、一般人は立ち入りもできない島でした。
なんてことはつい先日まで知らなかったのですがね。
たまたまネットで見かけた画像に惹かれ、勇んで船に乗り込みました。
観光汽船でしたが・・・。
登録上は住人のいない無人島に下り立ち、食堂(あるんじゃん)の脇を抜け、かつては軍人が行き交ったであろう山道を登ると、突如木々の中に現れるレンガ造りの施設。砲台跡のようです。
かな~り不気味です。誰も居ません。ほかの下船客はどこに行ったのか?
物音がしたのは気のせいか。ラジオのような無線のような音が確かに聞こえたのです。
砲台は撤去されてますが、これは爆薬庫なんでしょうか。
他にも島内にはいくつも軍事施設が残っています。
ただ崩壊の危険も迫っているようで、立ち入り規制が強化されているようでもあります。
通過者
2009年11月18日 - FUJI GA645