



(c)Tatsuo Iizuka
足尾銅山に行くにあたり浅草駅から初めての東武鉄道に乗りました。
まずは東京の下町から埼玉、群馬と変わりゆく車窓を楽しみます。
足利駅の先では、あの「渡良瀬橋」が見えました。頭の中にはリコーダーのメロディが流れます。
スバリスト達の聖地?、スバルの本工場がある太田駅。
注視してみたけど普通にトヨタ車とか多いよね、やっぱり。
駅前に商店一つも無い相老駅で45分の待ち合わせで、わたらせ渓谷鉄道に乗り換えます。
その名の通り、渡良瀬川添いの渓谷をうねうねと走るローカル列車。
週末にはディーゼル機関車が牽くトロッコ列車もあるというが、今日は月曜日。
きっとガラガラで、のんびりくつろぎながら1時間半の旅を楽しもうと思いきや
やってきた一両きりのディーゼルカーには、中国からの観光客でほぼ満席。
しかも車内では大はしゃぎ。全員親戚か?と思うような親密さでボックス席を行ったり来たり。
途中駅から乗車した車掌にさすがに窮状を訴え、いくぶん落ち着きを得たものの
イヤホンで音楽を聞きながら眠るしかなく
思い描いたローカル列車の旅にはなりませんでした。
それでも国鉄足利線時代の趣のある駅舎が残っていたり
立派な桜並木があったりと、わたらせ渓谷鉄道は味わい深い路線だったことは間違い有りません。
いつか再訪を。と誓うのでした。
栃木県/日光市
Leica Q
閉山から50年 鉱山住宅跡
2023年06月02日 - スナップ



(c)Tatsuo Iizuka
足尾銅山は1973年の閉山から50年経っています。
採掘で賑わった1916年のピークには栃木県で宇都宮市に次ぐ38,000人ほどの人口を抱えた足尾の町も
今や3,000人ほど。
古河鉱業によって足尾銅山は日本の40%の銅を供給するほど盛隆を誇り、従業員は好待遇で迎えられ、暮らしは豊かなものだったそうです。
お昼をいただいた食堂のおじさんによると、社宅では電気水道ガスの光熱費も会社持ち。
3交代制の勤務で夜勤から上がったばかりの抗夫は、朝から酒盛りに興じ
この食堂も何人も芸者を抱えて賑やかなお座敷だったそうです。
抗夫の家族らが暮らしたかつての社宅(鉱山住宅)は閉山後、公営住宅になり、数少ないながらも足尾の町に残っています。
延焼を防ぐためでしょうか、長屋の並びに、レンガの壁で仕切られているところもあります。
トイレは別棟にあり共同トイレです。住人以外の使用お断りの張り紙もありました。



(c)Tatsuo Iizuka
昭和初期くらいのものでしょうか、かろうじて建っている古い鉱山住宅も残っていました。
朽ちた壁から丸出しになった便器は、華やかに藍色に花柄が描かれたものが奢られていました。
便器の装飾に、わずかに残る往時の栄華を見たような気がします。
ここには共同の浴場も残っていました。
左右に男女別の浴槽がそれぞれに。真ん中には大きなボイラー室がありました。
住人がいなくなったあと農業倉庫に転用されていたのでしょう。
浴槽のまわりには資材が置きっぱなしに。
それもまた過去のできごと。
近くに流れる川の音だけが聞こえていました。


(c)Tatsuo Iizuka
栃木県/日光市
Leica Q






(c)Tatsuo Iizuka
所用で東京へ行った後に、列車を乗り継ぎ、栃木県の足尾まで足を伸ばしてきました。
足尾と言えば、足尾鉱山。
日本初の公害事件「足尾鉱毒事件」が小学校の教科書に載っていましたね。
北海道でいろんな炭鉱跡を訪ねるうち、鉱山の跡形が残っているうちに足尾を訪ねてみたいと思っていたところ
今回その機会を得ました。
当日は雨降り。
傘を差しながら相応の距離を歩き回るのはなかなかに骨が折れましたが、
写真的には良い条件で、貴重な産業遺産を撮ることが叶いました。
(と言っても施設内には入れません)
渡良瀬川の渓谷に添う大煙突や精錬施設たち。
坑木や燃料のために伐採されたり、精錬時に発生する煙で周辺の山はハゲ山になったそうです。
閉山後に植林が続けられたようですが、一部異様な様相です。
その中で静かに眠る鉱山施設の風景は、幻想的で神秘的に見えました。
栃木県/日光市
Leica Q
春の淡いコントラスト
2023年05月13日 - 自然風景